峯野龍弘のアガペーブログ

心にささやかれた愛の指針

第3章  世俗的価値観と我執がもたらす二重の抑圧

                       G.サーバント        

第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因

III. 世俗的価値観と我執がもたらす二重の抑圧

さて、そこでお互いが決定的に目覚め、認識し、かつ解放されていかなければならない人生の最重要課題は、お互い各人の心を抑圧し、支配し、そして虜にしてしまう恐るべき人生の敵である「世俗の価値観」と「我執」からの解放と脱却です。これを既に先に「抑圧の二大元凶」と呼びましたが、この二つこそが「諸悪の元凶」であり、「諸悪の根源」(根本原因)でもあったのです。

 

この二つの「抑圧の元凶」が、ひとたびお互いの心と人生を支配するようになると、そこには必ず「二重の抑圧」を引き起こしていきます。

 

 

A.先ず自らの心を抑圧し、その人生を狂わせる

世俗の価値観と我執とは、これが一旦人の心の中に侵入すると、各人の意識や意志を超えてその心の内に増殖し始め、遂にその人の感情と意志と行動、つまり人格(人間性)と生活(人生)とを支配するようになります。それほどまでに世俗の価値観と我執の抑圧は、強力にして執拗であり、遂にこれが人の一生を狂わせるようにまでなるのです。

 

これに抑圧され、支配されるようになると、お互いは常に自分と他人とを比較するようになり、世俗的価値観に従って自己の欲望・願望が自らを駆り立て、自らの欲する基準値に達していない自分を受容することが出来なくなり、他人を羨み、自己卑下するようになったり、その反対に自分がその基準値を満たしていると認識する時、他者に対して自分を誇り、他者を見下すようになってしまうのです。

 

その結果、絶えず他者の動向が気になり、それに正比例して自らの状態も気になり、とりわけ自己の今おかれている状況や状態に確信が持てない時、ただいたずらに不安と疑いだけが増幅し、鬱的症候に苛まれるか、さもなければパニック症状を引き起こし、物や他者にあたりちらし、狂い叫ぶようにさえなるのです。誠に恐ろしい限りです。これらが自己に対する世俗の価値観と我執の恐るべき第一の弊害です。

 

 

B.他者の心を抑圧し、その人生を狂わせてしまう

そこで更に恐ろしいことは、世俗の価値観と我執が自己を縛り、抑圧、支配するようになると、これによって認識し、判断したところに従って、更に自らが他人を裁き、支配しようとするようになるのです。これがいわゆる赤の他人である場合には、ほとんど問題にはなりませんが、その相手が親しい間柄や、ましてや家族・親族であった場合には、極めて深刻な問題が発生してしまいます。

 

つまり親しさのゆえに、また愛していると思っているがゆえに、自分の気付かされた認識や判断をその相手に伝え、しかもその相手がそれを理解し、受容してくれるものと強く期待し、それを欲するのです。その結果、その相手がそれを理解出来ず、受容しなかったとしたら、その途端に自分の内に働き、自分を抑圧し、支配している世俗的価値観と我執が激しく自己を駆り立て、その相手に更に強く自己の主張するところを迫るようになるのです。

 

その場合、なおも相手がそれを受け入れないとすれば、完全に争いが生じてしまいます。これがいわゆる夫婦や親子の不和・断絶であり、他人であれば人間関係の断絶となるわけです。

 

更にこの場合、相手が本人以上に強い立場にある人物であれば、そのまま決裂して人間関係が終わるのですが、しかし、その相手がその人の子供であったり、しかも先に述べた心の優しい純粋志向のウルトラ良い子であったとしたら、そこには極めて深刻な問題が発生してしまいます。

 

すなわち、その子供はこの世俗的価値観と強烈な我執の持ち主である親から極度の抑圧を受け、その支配の許に封じ込められ、自らの意志や感情は封鎖され、その上その心には大きく深いトラウマを受け、遂にはその子の人間性と人生を決定的に阻害してしまう心的障害を身に負わせてしまう結果となります。何と言う世俗の価値観と我執が齎す恐るべき弊害でしょうか。ですからこう言うことができましょう。

 

「世俗的価値観と我執とが、ある人の心と人生を支配する時、その人は次には、それをもって他人を支配するようになり、更にまた世俗的価値観と我執に支配され他人を支配した人によって支配されたその人もまた、更に他の第三者を支配するようになる。そしてこの世俗的価値観と我執の悪しき伝達ゲームは、止まるところを知らない」と。