第1章 主と共に歩む生涯への召命と献身
G.サーバント
「主イエスと共に歩きましょう、どこまでも」というかわいらしい「こども聖歌」がありますね。ご存知でしょう。小僕も昔、日曜学校や子供会でご奉仕していた頃、子供たちと一緒に楽しく、よく歌いました。爾来(じらい)、時々何かの折にこのこども聖歌の文句が脳裏によみがえって来て、ひとり口ずさむことがあります。まことにその通りだと思います。お互いキリスト者は、生涯の最後の一息に至るまで、主イエスに追従し、主と共に歩み続けるべきです。いつどこで何が起ころうと起こるまいとにかかわらず終始主に追従し、共に歩んでこそ真の主の弟子、つまり真のキリスト者にふさわしいお互いであることが出来るわけです。
しかし、お互いは何としばしば主から離れ、独り歩きしたり、主以外の人や物に心惹かれて、主を見失ってしまうことでしょう。まさしくお互いは、迷いやすい「羊」のようです。それなのになおも主は私ども一人一人を深く愛し、遠く彼方に迷い出たお互いをどこまでも捜し求めて見出し、救い出して下さるお方です。何と言う深い主の御愛でしょう。たといお互いが罪を犯し、主の御許から離れたとしても、それでも主はお互い一人一人をなおも愛されて、御許に導き返し、共にいることを喜ばれるお方です。有名なルカの福音書15章の「見失った羊」のたとえ話の中で、主はその御自身の御思いを次のように披歴しているではありませんか。
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」(ルカ15:4~6)と。
これはお互い一人一人を愛して、どこまでも共にいることを喜ばれる主のお心を言い表している、素晴らしい聖句だと思います。このように主がわたしたち一人一人と、かくまでも「共にいる」ことをこの上なく喜んでくださっていることを知りながら、あえてその主の御許を離れて、自らの好みに任せて自分勝手の道に踏み込んで行くということが、いかに罪深く、主を悲しめてしまう事であるかを思う時、断じて「主と共に歩むこと」を止めてはならないのです。
そもそもキリスト者生涯というものは、「主と共に歩む生涯」への「召命と献身」によって成り立っています。例えばその最も典型的な模範と実例は、主の最初の弟子となったペトロとアンデレ兄弟です。彼らはガリラヤ湖上で網を打ち、漁をしていました。その時、突然主イエスが湖畔から彼らに呼びかけて、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ4:19)と言われたのでした。「わたしについて来なさい」と言ったこの言葉がけこそ、「主と共に歩む生涯への招き」つまり「召命」でした。それは「主イエスについて行くこと」つまり「主と共に歩むこと」により、「人間をとる漁師」すなわち「人間を救いに導くキリストの弟子」となることへのまさしく「召命」だったのです。
そこでこの「召命」に対してペトロとアンデレは、どのように応答したでしょうか。何と彼らは、その瞬間から「すぐに網を捨てて従った」(同20)のでした。これこそが主からの「召命」に対する彼らの応答としての「主への追従」つまり「献身」でした。まさにこの時が彼らの「主と共に歩む生涯への旅立ち」となったのでした。
しかし、この「主への追従」と「献身」の道、すなわち「主と共に歩む生涯への旅路」は、平坦な道ではありませんでした。険しい山あり、谷ありの苦難の道でもありました。ですからある時、主イエスは彼らにこう言われました。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」(同16:24~25)と。
そうです。「主について行く道」つまり「主と共に歩む生涯」は、究極のところ愛と恵み、平安と喜び、勝利と栄光の満ち溢れた祝福への旅路であることは間違いありませんが、しかし、その途上には「自分の十字架を背負って」主イエスに追従し、歩んで行かなければならない苦難の茨道を突き進んで行かなければならない「献身」の道でもあるのです。
しかし、何と幸いなことでしょうか。「主について行く道」すなわち「主と共に歩む生涯」は、いうまでもなく「主が共におられる道」、「主が共に歩まれる生涯」そのものなのですから。愛と恵みに満ちたもう全能者なる神が、お互いと共におられ、共に歩んでいて下さる限り、たとえどんなに耐えがたいと思われる逆境や試練があったとしても、主は必ず共にいてその中からお互いを救い出し、お守りくださるのです。
旧約聖書の時代のヨセフは、新約時代の恵みや聖霊による絶大な恩寵については、いまだ与り知らなかったにもかかわらず、生涯自らと共におられる神の恵みを疑わず、如何なる逆境・試練の只中にあっても神を信頼し、耐え忍びました。そのような彼に対して主は、常に彼と共におられ、生涯彼を守り、祝福されました。ですから聖書は、こう記しています。「主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。」(創39:2)。「主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれた」(同23)と。
また主はヨシュアにもこう言われた。「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ・・・うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」(ヨシュア1:5、9)と。
ですからお互いキリスト者も、生涯変わらず、如何なる時も「主と共に歩む者」でありたいものです。
さて、そこで既に記しましたように「主と共に歩む生涯」とは、とりもなおさず「主が共におられる生涯」以外の何ものでもありません。私どもキリスト者にとって、いやそれ以上にお互い人間にとって、創造主であり、全能者である神、主が共にいて下さると言う事に優って素晴らしい恵みが他にあるでしょうか。万物を創造し、かつ所有し、支配しておられる「主が共におられる」ならば、何一つ不可能はないわけです。人には出来ないことがあっても、神には何一つとして出来ないことはないからです。神は、万物の創造者であり、全能者でいらせられるのですから。
旧約の昔、アブラハムがまだ「アブラム」と呼ばれていた頃の事でした。アブラムには、サライという妻がいましたが、彼らには子供がいませんでした。既に86歳を迎えようとしていた彼は、どうしても子孫を残さなければなりませんでした。もはや子供をもうけるには不可能と言われるほどの年齢を迎えていた彼は、やむを得ず妻と相談して女奴隷のハガルとの間で子供を儲けようとしました。そこで生まれ出てきたのがイシュマエルです。しかし、神はこれを良しとはせず、彼が99歳の時に突然主は彼にご自身を現され、「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」(創17:1~2)と言われ、続いて更に「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。」(同4~5)と言われました。そして遂に主はアブラハムに、「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。」(同15~16)とも言われたのでした。この後、三人の使いがアブラハムの許を訪ね、その旨を告げると物陰に隠れその話を傍受したサラが、思わずそんな筈があろうかと信じられずに「笑った」(同18:12)のでした。その時、主は即刻アブラハムにこう告げたのです。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」(同13~14)と。はたせるかな、その翌年のそのころにアブラハムとサラの間に、息子イサクが生まれたのでした(同21:2)。
この時以来、いよいよアブラハムは自らの生涯を貫いて、神には何一つ不可能なことはなく、出来ないことは何一つないことを確信し続けるようになったのでした。のみならずこのアブラハムの信仰こそが、その後のすべての時代の、すべてのイスラエルの人々の「信仰の礎石(そせき)」となり、彼をして「信仰の父」と呼ばれる存在にしたのでした。ですからローマの信徒への手紙の中で、使徒パウロは、このアブラハムの信仰について、こう記しています。「彼はわたしたちすべての父です。「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。」(ローマ4:16~21)と。
そうです。アブラハムの信仰とは、「神には不可能なことはない。主には何一つ出来ないことはない」という信仰でした。そもそもアブラハムが、「諸国民の父」となるとの神との契約を戴いた時、それに先立って主は彼にはっきりと「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」(創17:1)と命じられたのでした。主は「全能の神」なのです。ですからアブラハムは、全生涯を掛けてこの「全能の神」、つまり「不可能のない、何一つ出来ないことのない神」を主と仰ぎ、生涯一筋にこのお方に従って、完全に歩むように主ご自身から求められていたのでした。実にこんな幸いなことはありません。まさに主からの「完全保証付の生涯への招き」です。これほどの行き届いた「祝福への招き」がどこにありましょうか。アブラハムは、この招きに完全に従ったのです。彼の耳元には生涯、常に「あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」という主の御声が聞こえていたに違いありません。それゆえアブラハムは「諸国民の父」と呼ばれるに至ったばかりか、いやそれ以上に「信仰による義人」(ローマ4:3参照)とされたのでした。
このように「主と共に歩んだ」アブラハムには、常に「主が共におられ」彼を祝福されたのでした。それゆえ彼の生涯における如何なる困難事、不可能事があっても、彼は屈することなく前進し、遂にその生涯を全うすることが出来ました。ですから「主が共におられる」と言う事ぐらい素晴らしい「人生の祝福と保証」は、他にないのです。
ところでアブラハムの生涯で、そもそも彼が主によってこの「主と共に歩む祝福の生涯」へと招かれたのは、いったいいつだったのでしょうか。それは彼がまだアブラハムではなく、「アブラム」と呼ばれていた頃のことでした。彼は父親のテラと共にカルデアのウルと言う地に住んでいました。年老いたテラは、妻の亡くなった後、息子アブラムとその妻サライ(後の名はサラ)、そしてアブラムの死んだ弟の息子ロトを連れて、長い間住み慣れたカルデアのウルの地を去り、カナン地方に移住することにしました。ところがその途上、ハランと言う地に暫く寄留している内に、テラは205歳の生涯を終えて亡くなってしまいました(創世記11:31~32)。
そこで主はアブラムに言われました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」(同12:1~3)と。実に、この言葉こそアブラムを多くの人々の中から選び出し、祝福し、尊い使命を与えて用いようとされたアブラムと「共におられる主」の、彼に対する「召命の言葉」でした。この時、アブラムは何一つ躊躇することなくこの「主の言葉に従って旅立った」(同4)のでした。それはアブラム75歳の時の出来事でした。ヘブライ人への手紙の筆者は、この時のアブラム(アブラハム)の信仰を称讃して、「信仰によって、アブラハムは・・・これに服従し、行き先も知らずに出発した」(ヘブライ11:8)と記しています。
しかし、それから24年後の彼の99歳の時のことでした。主は、アブラムが全生涯を通じて「共におられる主」に全く従い続け、全能の主と共に歩み、その約束の大いなる祝福を受け継ぎ、永遠に至るまで、全世界万民の祝福の基となって欲しいと願われました。そこで主は彼に更に次のように言われました。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」(創世記17:1~2)と。のみならず続いてこうも言われたのでした。「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。・・・それを永遠の契約とする。」(同4~5、7)と。
これはまさしくアブラムの「共におられる主」に対に対する追従が、決して中途半端なものではなく、どこまでも完全かつ徹底的服従を伴うものであってほしかったからです。これは「共におられる主」に対する彼の「全き献身」、「全的献身」を、主が彼に要請されたものでした。なぜなら彼がその大いなる祝福を主から受け継ぎ、全世界万民の祝福の基となる尊い使命を遂行するためには、これが不可欠な要件であったからでした。この時、アブラムは、主の御前にひれ伏して、この「全き献身」の要請に応諾しました(同17:3参照)。
この瞬間から「アブラム」の名は、「アブラハム」と改称され、かつアブラハムはその「共におられる主」への「全き献身」の証明として、主から「割礼」を拝受したのでした。ですからこの「割礼」こそ、「共におられる主」とアブラハムとの間に取り交わされた「全き献身契約」に対する、まさに「神的調印」を意味していたと言っても過言ではありません。
のみならずこのアブラハムの「全き献身」が見事に開花し、結実したのは、彼の生涯上のクライマックスの出来事と言っても過言でない、かのモリヤ山の頂で彼の最愛の独り息子イサクを、神への生け贄として主の祭壇に献げると言う、極めて厳かな出来事が起こった時のことでした。主は、突然アブラハムに「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」(同22:2)と命じなさいました。こんな惨い不合理な神の要請を、いったい誰が受け入れることが出来るでしょうか。ましておや自分の命よりも優り寵愛していた息子を、誰がどうして応諾できるでしょうか。しかし、アブラハムは何もかもご存知の全能の神であり、しかも何事をも最善以外に成し給わない「共におられる主」が、アブラハムにあえてこれを要請されたのでした。アブラハムは、既にその主に「全き献身」、「全的献身」をした「主の従僕(じゅうぼく)」でした。そこでアブラハムは、主の御心の最善を信じて、直ちに服従し、イサクを連れてモリヤの山に向かいました。ついに目的地に到着した彼は祭壇を築き、燔祭(はんさい)に小羊の代わりに自分の最愛の息子イサクを縛って、祭壇の薪の上に載せました。そして手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとして、まさに刃物を振り下ろそうとしました(同9~10参照)。その瞬間、主は御使いを通してこう言われました。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」(同12)と。
かくしてアブラハムは、見事に主の御声に聞き従い、「全き献身」、「全的献身」を全うしたのでした。そこでこの場所が、末代まで未来永劫に亘り、「ヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)」とか「イエラエ(主の山に、備えあり)」(同14)と呼ばれる記念すべき聖なる場となりました。
かくしてアブラハムは、「共におられる主」に召され、選ばれ、かつその召された目的と使命をことごとく「全き献身」をもって全うしたのでした。そこでお互いもこのアブラハムのように「共におられる主」に愛され、選ばれ、召された者として、全生涯に亘り、主の御前に「全き献身」、「全的献身」をもって、服従し忠実なキリスト者でありたいものです。