峯野龍弘のアガペーブログ

心にささやかれた愛の指針

第8章 「アガペーによる全面受容」を実現するための愛の学習塾

                              G.サーバント

 

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以前より「アガペーによる全面受容の癒しの道」について、共に学んでまいりましたが、間もなくするとこの一連の学びも終わりを迎えます。そこで本書を結ぶにあたってなお二つの点について言及し,本稿を結びたいと思います。

 

その二つとは、第一にアガペーによる全面受容を実現するための“愛の学習塾”としての「アガペー・ファミリー・ケアー・センター」の存在についてです。第二は、「ウルトラ良い子」の癒しのための“愛の共同体”としての「アガペー・ファミリー」の存在についてです。この二つのものの存在は、「アガペーによる全面受容」を成功させて行くために大変有益であり、かつ不可欠と言ってもよいほどに皆様にとって役立つ存在だからです。では以下に順次この二点について説明しておきましょう。

 

Ⅰ、「アガペーによる全面受容」を実現するための“愛の学習塾”

 

この学習塾を通常「アガペー・ファミリー・ケアー・センター」(略称AFCC)と呼んでいます。ここでは月例のカウンセリング・セミナーが持たれています。午前中は学習講座が持たれ、昼食時はメンバーたちが会食を共にしながら互いの体験を分かち合い、午後は「グループ・カウンセリング」と言って、順番に午前中の講義の内容に関する質疑応答がなされ、更に今直面している問題・課題についての報告が行われ、続いてこれに対する適切なアドバイスがなされます。そしてこの学習塾の存在には、概ね以下のような重要な意義と目的がそこにあるのです。

 

① 継続学習・反復学習の必要性

先ず第一は、継続学習・反復学習の必要性です。心傷つき病んでしまった「ウルトラ良い子」の癒しのためには、長い癒しの期間が必要です。また一度や二度学んだからと言って「アガペー」が身に付くわけではありません。のみならず知識としてそれを理解し、知ったからと言っても、それはあくまでも単に観念的知識に過ぎず、一つの方法論を学んで対処療法を試みることに過ぎません。しかし。真の「アガペーによる全面受容」は、すでに学んで来たように単なる方法論や対処療法の一つではなく、受容者の人格的、本質的、根本的な人間性もしくはその性質の変革から生み出されるものなのです。つまりその人の考え方、価値観、人生観、そしてその性質が「アガペー化」されたところから発信された新しくその人の内から溢れ出た「人格的アガペー」が、その子供を癒して行くのです。これは一朝一夕で決して身に付くものではありません。繰り返し、繰り返しの反復学習によって吟味して行かなければなりません。少しばかり成長し、身に付いたと気を良くしていると、すぐに後戻りしたり、またアガペーしているつもりが、いつしかそれが風化してしまったりするものなのです。こうしたことを予防し、「アガペー化」を深めるために大いに必要かつ役立つのが、AFCCによる継続学習・反復学習なのです。これによって毎月々自己点検し、新鮮な刺激と活力を得て、受容の濃度を増し加え、着実に「アガペーによる全面受容」を深めて行くことができるからです。まさに「継続・反復は力」です。

 

② 反省と改善

第二に、お互いは常に「反省と改善」が必要です。自分一人で懸命に努力していても、所詮独りよがりになり易いものです。のみならずただ一人で孤軍奮闘しているだけでは、いたずらに労苦だけが重なり、疲れ果て意気阻喪してしまいがちです。そればかりではなくあまり成果が上がらず、何か堂々巡りばかりしているかに思われ、「アガペーによる全面受容」に失望を覚えたり、疑問を感じたりしてしまうことも起こってきます。何よりも自分のアガペーの仕方に過ちや不十分さがあってもそれに一向に気付かないまま、時間ばかりがむなしく経過してしまうことになるのです。しかし、月例のセミナー(学習塾)に身を置くことにより、その都度自己点検をすることが出来、必要な反省と改善を図ることが出来ます。単なる反省だけでなく、明白に過ちや失敗点を認識することによって、二度と同じ過ちを繰り返すことがないようそこにしっかりと楔(くさび)を打ちこむことが出来、それを足場に更に上に上ることが出来るようになります。まさに「失敗は成功の素」になるのです。また当然のことながらそこから更なる良き積極的な改善がなされ、「アガペーによる全面受容」がいよいよ本格的に稼働して行くことになるのです。これもまたAFCCへの継続受講の意義と目的であり、これまた受講の恵みと言えましょう。

 

③確認と確信

第三に、この月例の学習塾でお互いが共に学び続けることにより、月毎に自らの「アガペーによる全面受容」が本道から逸れたり、独りよがりになってしまってはいないか、子供の心を安息させる受容とコミュニケーションがよく出来ているかなどを確認することが出来ます。とかく自分は良き全面受容をもってアガペーしているつもりでも、いつしか惰性に陥ってしまっていたり、自負心だけが独り歩きしていて、相手には一向に受容されたという思いも安息も与えていないことがあります。その言葉遣いや、態度にはいつしか愛がこもらず、上から目線で語り対応していたり、ときにはまたしても威圧的であったり、抑圧を与えていたりすることもあるのです。しかし、このアガペーの学習塾で常に謙虚になって自己点検し確認し合うことにより、常に初心に立ち返り、初々しい心でアガペー道を歩むことが出来、アガペーの行く先には必ず目に見えない天の助けが注がれ、愛の労苦は報われ、癒しが促進されることを確信できるようになります。それはこの学習塾で自分よりも先に歩んでこられた多くの先輩たちの失敗談や成功談を聞くことにより、アガペーの本道を歩んだ者は、皆等しくその祝福に与ることが出来るのだという確信を掴み取ることが出来るからです。つまり「確認し、ひたすらアガペーによる全面受容の正道を突き進むところには、必ず勝利と祝福が待っている」と言う確信を持つに至るのです。

 

④希望と忍耐

第四に、そこには希望と忍耐が生まれます。

これは必然と言えましょう。なぜなら確信は、疑いや迷いの霧や黒雲を打ち払い、安息と希望の光を仰ぎ見させてくれるからです。人間の心は正直で素晴らしいものです。物事に確信を持つことが出来ると、その途端にその心は安息し、更にその行く先に希望を抱くことが出来るようになります。そしてこの希望の光を仰ぎ見て前に進み、上に登り始めると、そこにある様々な困難や苦しみをより耐え忍び易くしてくれるのです。それはあたかも闇夜の荒海で遭難した船人が、疲れ果て今にも溺れそうになった時、真っ暗な闇夜の中で前方に陸地の光を見つけたようなものです。彼はその瞬間、「陸地だ、光だ。俺は助かるのだ!」と強い確信と希望を抱くことが出来るのです。その時、弱り果て、力尽きるかに思えた彼の内に再び力が湧き上がり、この確信と希望のゆえに彼は襲い来る荒波に打ち勝ち、遂に生還するのに似ています。この荒波を克服させた彼の忍耐と耐久力はどこから来たのでしょうか。言うまでもなくそれは「陸地は近い、光だ。俺は助かるのだ」と言う強い確信と、その確信がもたらした希望の故でした。そうです、まさに希望は忍耐を生み出し、その忍耐が人生に勝利をもたらすのです。ですからこのアガペーの学習塾は、お互いに希望と忍耐を育成してくれる最良の道場とも言えるでしょう。

 

⑤現状把握と適切な対応

そして第五は、現状把握と適切な対応です。

お互いはただ一人で孤軍奮闘しているだけでは、如何に一生懸命アガペーによる全面受容に励んでいても、なかなか自分の受容が果たしてどこまで届いているのか、成功しているのか把握しにくいものです。ところがこの月例の学習塾で月毎に現状報告をし、講師から、あるいは先輩や仲間たちからアドバイスを受けることにより、良きにつけ悪しきにつけ正しい現状認識と把握が出来るのです。そこで先にも述べたように反省と改善が適切になされ、また確認と確信が与えられ、希望と忍耐をもって歩んで行くことが出来るわけです。ここで適切な時宜(じぎ:ちょうどよいときのこと)を得た対応が可能になるのです。これは何と喜ばしい積極的、生産的な営みでしょうか。かくしてよどみないアガペーによる全面受容の促進が、各自の内にはかられて行くのです。

 

ですからこれらが概ねのアガペー学習塾の存在意義と目的と言えましょう。

                                                                   

                                                                      (続く)