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峯野龍弘のアガペーブログ

心にささやかれた愛の指針

愛の文化を生み出す教会の宣教とキリスト者(2)

前回の続きです。

―美しい人間関係の新創造とキリスト者の使命―   

                G.サーバント(峯野龍弘)

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Ⅲ、21世紀という終末的時代における教会とキリスト者の宣教の使命

 さて、私たちは今や21世紀という終末的様相の色濃い恐るべき時代を迎えています。時代はますます悪化・俗化の度合いを増しています。主は弟子たちの質問に応えて、終末時代の最も顕著な兆候の一つについてこう指摘されました。それは「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」(マタイ24:12)でした。つまり愛を基とした美しい人間性や美しい人間関係、そして美しい共同体としての社会が崩壊して行くとの指摘でした。何故そうなるのでしょうか。その理由は、明白です。

  • 「欲の文化」つまり欲望充足型の文化が、はびこるからです。
  • 「エゴの文化」つまり我執や自己中心の文化が、主流となるからです。
  • 能力主義の文化」つまり相互に優劣を競い合う競争文化が支配的になるからです。
  • 「富の文化」つまり物質的、経済的豊かさをもって人間の幸福を推し量る価値観が独り歩きするからです。
  • 「裁きの文化」つまり相対的、世俗的価値観により相互に相手を批判、非難し、抑圧し合うことが日常茶飯事となるからです。

 そこには多様性や個性、個々の人間の尊厳や真価などが否定され、最大公約数的な世俗の価値観に従って良かれとされたある種の枠組みだけが絶対化され、それに従って相互に裁き合う文化が大道をまかり通るのです。最も重要な愛は失われ、愛による相互受容や赦し、更には献身的な他者奉仕、他者のために喜んで担う自己犠牲と言う極めて尊い生き方は卑しめられ、美しい聖い精神や生き様は失われて行くのです。今日の日本はまさにその破局を迎えつつあります。


 そこで今こそかかる日本社会の中に置かれている私たち教会とキリスト者の使命と責任は甚大です。このような終末的現代社会の中に誰が美しく聖い真実な「愛の文化」の花を咲かせ、この殺伐とした慰めも安息もない、裁き競い合う現代砂漠に、喜びと幸せを齎すことができるのでしょうか。それこそ主イエス・キリストの十字架のアガペー(愛)とその恵みに与った教会とキリスト者でなくてどういたしましょう。


 ところがそれにもかかわらず、もしお互いがその尊い使命と責任を果たさないなら、お互い教会とキリスト者はまさに「塩気を失った塩」(マタイ5:13)、「枡の下に置かれた燭台」(同15)のごとき存在であって、何をもってこの世に愛の塩味を取り戻し、この世に愛の光を輝かすことができましょうか。使徒パウロが言ったようにまさしく

  • もし「愛がなければ」異言やしるしの賜物も所詮、「騒がしいどら、やかましいシンバル」(コリⅠ13:1)に過ぎず、
  • またもし「愛がなければ」山を移すほどの福音主義信仰も神学も、「無に等しい」(同2)ものとなり、
  • そして更にもし「愛がなければ」全財産を貧しい人々に施し、命懸けで社会改革を叫んでみても、それは「何の益もない」(同3)のです。


使徒パウロは、ですから尊いのは「愛によって働く信仰だけ」(ガラ5:6口語訳)であり、「愛の実践を伴う信仰こそ」(同新共同訳)大切であると断言しました。


 実に終末の世界が真に必要としているのは「愛の文化」、しかもそれは十字架のキリストのアガペーの愛から流れ出てくる実践的かつ贖罪的「愛の文化」以外ではないのです。そこには

  • 「赦し」と「とりなし」、
  • 「愛の自己犠牲」と「献身」
  • 「癒し」と「回復」
  • 「和解」と「共生」
  • そして「美しい人間性」と「人間関係」更には「愛の共同体」としての新世界の形成

などがまさに生み出されて行くからです。そしてその時、世の人々は現代社会を終末化させてきた我執や自己中心主義、裁きや競争心、更にはそれらを煽りたててきた世俗的価値観から解放され、「愛による共生の文化」を開花させることができるのです。そしてそこに多様性と固有性が融合し合う豊かな調和の文化が実を結ぶことでしょう。

 
 とりわけ、かくして遂に「主の祈り」にあるような神の御心にかなう美しい社会が誕生し、個々人の内には愛に満ち溢れた美しい人間性が修復され、また美しい人間関係も再構築され、そこに美しいキリストにある交わりと共同体が形成され始め、更には使徒言行録2章おいて実現されたような、聖霊に満たされたキリストの愛による共存・共生・共有し合う聖くて美しい、しかも唯一の世界大、いや宇宙大のスケールの大きな愛の文化圏、つまり「新世界」が実現するのです。(使徒2:42~47)

 

 これこそが21世紀の苦悩する愛なき現代社会が切願している新世界です。そしてまたこれこそが愛を喪失し、美しい人間関係も崩壊し、愛の破局を迎え生き地獄化して行く終末的現代社会に対して、お互い教会とキリスト者を派遣なし給うた主の大いなる御心なのです。それゆえお互いはこの大いなる御心と御國の成就するために、今ここに「キリストにあってひとつ」されて立ち上がり、愛に満たされた美しい人間性回復と美しい人間関係再生のために、更には美しい愛の共同体としての社会形成のために、共に献身しようではありませんか。そして主イエスの証し人としてこの年の教会標語のように、「社会に祝福を齎す愛の共同体」となって、共に祈り、霊と心と体を合わせて、21世紀の終末的現代社会に遣わされて行こうではありませんか!そこで今、心と声を合わせこう祈ろうではありませんか!

 

「天にましますわれらの父よ、聖名を崇めさせ給え。

 御國を来らせ給え。御心の天になる如く、地にも成らせ給え!アーメン」と。