峯野龍弘のアガペーブログ

心にささやかれた愛の指針

祈りによる共同体の復興と聖霊による新紀元①

何回かに分けて掲載します。

祈りの重要性、聖霊の力について共に学んで行きましょう。

                  G.サーバント  峯野龍弘

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序、キリスト者アガペー共同体の使命、ミッション

エゼキエル書47:12
「 川のかたわら、その岸のこなたかなたに、食物となる各種の木が育つ。その葉は枯れず、その実は絶えず、月ごとに新しい実がなる。これはその水が聖所から流れ出るからである。その実は食用に供せられ、その葉は薬となる。」

 

お互いの使命は、聖所から流れ出る聖なる泉の如く、四方に川々となって流れ下り、その岸辺に潤いを与え、その潤いは岸辺のあらゆる植物に命を与え、芽吹かせ、根を張らせ、それがやがて幹を生じ、枝を茂らせ、花を咲かせ、更には豊かな実を産出し、遂にはその実や葉を収穫して食した人々に栄養を付与し、病を癒し健やかになすようになることでしょう。つまり、アガペー共同体のお互いが、教会や礼拝などの‟聖所”から世に遣わされ、家庭や職場や学校等の多くの触れ合う人々に、潤いを与え、豊かな活力と祝福をもたらす良き存在となることができます。これこそが世にある教会とキリスト者の尊い使命であり、また聖なるミッションでしょう。

 

 

 

Ⅰ、聖霊の御業と祈り

   しかし、如何(いか)に真剣にお互いがキリスト者アガペー共同体の使命に目覚め、その聖なるミッションを達成しようと願い、努力しても、所詮(しょせん)、人間の力や知恵や財力などによってその使命を遂げ得ることはできません。それは、人間の業を遥かに超えた神の御業と霊の働きによらなければなりません。預言者ゼカリヤが、主ご自身から「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって」との御言葉をあずかったように、神の霊、上からの力、つまり聖霊の御働きによらなければなりません。そして、この何よりも重要な聖霊の御働きにあずかるために、お互いにとって大切なことは「祈り」です。誰が祈りなくして聖霊の御働きにあずかることが出来るでしょうか。いや断じてできません。

 

 ちなみに、御復活なさった主イエスが遂に昇天される時、弟子たちに「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」(マルコ16:15)と尊い使命、聖なるミッションを託された時、決してその使命を彼らだけで、しかも彼らの知恵と力だけで遂げさせようとされたのではありませんでした。いやそんなことは断じて出来ようはずもありませんでした。それは霊的戦いでもあり、神の御業でもありました。ですからマルコの福音書の終わりには、「弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。」(マルコ16:20)と明記されているように、主が共にお働き下さったのでした。しかもその後、主は使徒言行録が鮮やかに記録を留めているように、弟子たちに「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう。」(使徒1:4,5)と言われ、更に「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。」(使徒1:8)と約束されたのでした。そして果たせるかな遂にそのお約束の通りに、五旬祭(ペンテコステ)の日が到来した時、「突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」(使徒2:2~4)のです。これはもはや人間の知恵と力、弟子たちの働きを遥かに超えた主ご自身のお働き、つまり聖霊による御業でした。

 

 しかし、この聖霊の御業は人間の働き、弟子たちの働きと無縁かつ没交渉の働きではありませんでした。弟子たちは主の御命令通りにエルサレムに戻り、何をして主の約束の御霊の下るのを待っていたのでしょうか。彼らはエルサレムに戻り、逗留(とうりゅう)していた家の屋上の間に集まり(同1:13)、「心を合わせて、ひたすら祈をしていた。」(同1:14)のでした。そして祈り続けて五旬祭の日を迎えたのです。祈りの祭壇の上には、弟子たちの心を合わせ、熱心に祈る『祈りの薪(まき)』が充分積み上げられ、『祈りの火』が点火され盛んに燃え続けていました。遂にその所に待望の『天からの火』すなわち『聖霊の火』が降ったのでした。そうです。『下からの祈りの火を燃え続けさせるところに、上からの聖霊の火が降る』のです。

 

 また、「祈りは、地中深くから永遠に尽きることのない地下水」、つまり「御聖霊を汲み上げるために必要な『霊的呼び水』」なのです。ですから“祈りなくして聖霊は降ることなく、祈りなくして神の御業は拝しえない”と言っても過言ではありません。

 

 

 

 お互いに尊い使命と聖なるミッションを明確にお示し下さった主は、その使命遂行、聖なるミッション達成のために、何よりも祈る者となし、お互いが存分祈る者となることによって、そこに聖霊の御業を現し、その尊い使命と聖なるミッションを実現させ、かつ御自身の栄光をご顕現なさろうとしておられるのです。

 

 

 

※次回に続く

※聖書は、口語訳を引用しております。