峯野龍弘のアガペーブログ

心にささやかれた愛の指針

自画像に悩む方へ(後編)

                       G.サーバント 

 

前編では、「自画像」を愛せない理由について学んできましたが、今日は、「ひとたび愛せなくなってしまった「自画像」を、如何(いか)にしたら再び愛することが出来るのか」について、学んでみることにいたしましょう。

 

 

<Ⅱ、如何にしたら「自画像」を愛せるのか>

 

1,主の御愛と御心を知る

その第一は、何よりも主御自身がお互い一人一人に寄せて下さっている深い御愛と御心を知ることです。他人がどう言おうと、また何をしようとも所詮(しょせん)それは不完全な、しかも罪深い、有限な人間の評価と判断に過ぎません。そのことによって何一つあなた自身の生き方を左右されるべき筋合いではないのです。あくまでもあなた自身が真にどうであるかが問題なのです。そこで最も大切なことは、自分自身がどうであるかを判断するための誤りのない、真実な基準をどこに設定するかという点です。果たしてその決定的基準はどこにあるのでしょう。それは他人の中にも、自分の中にも存在しません。それはただ永遠に変わり給うことのない愛と真理と恵みとをもって、慰め、励まし、助け、導いて下さることのお出来になる唯一の偉大な主、何事においても万事不可能のない全能の神の中にのみ存在するのです。しかもそのお方こそ、あなたの真実をことごとく知り尽くしておられ、あなたを誤りなく評価し、尊んでいて下さるお方なのです。ですからひたすらこの主に寄り頼み、この主の御心の中に身も心もお委ねし、日々歩んで行けば良いのです。なぜなら主がそれほどまでにあなたを深く愛していてくださるからです。そこでイザヤは、わたしたち一人一人に寄せる主の深い御愛と御心を、次のように記しています。

 

「恐れるな、わたしはあなたを贖(あがな)う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。・・・わたしの目にあなたは値高く、尊く、わたしはあなたを愛し、・・・わたしはあなたと共にいる。・・・彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のため創造し、形づくり、完成したもの。」(イザヤ43:1,4,5,7)と。

 

何と驚くばかりの主の恵みでしょうか。その御愛は、測りがたいほどまでに深く、その御心は筆舌(ひつぜつ)に尽(つ)くし難(がた)いほど絶大です。かくしてこのようにまで深くお互いを愛し給う主の御心がはっきり分かるとき、お互いの霊魂は安息し、かくまで主から愛されている「自画像」を、心ゆくまで受け入れることが出来るようになるのです。ハレルヤ!

 

 

 

2.世俗の価値観からの脱皮

さて、自画像を愛するための第2番目に大切な点は何でしょうか。それは私たちお互いを縛り、支配している世俗的価値観から脱皮することです。換言(かんげん)すれば長い間、各人の心の中心で王座を占め、お互いの人生の価値基準となってきた世俗の価値観を、キリストにある真の聖い価値観をもって置き換えてしまうことです。その時、先に世俗の価値観の弊害(へいがい)について述べてきたように、それらの弊害(へいがい)から完全に解放されて、お互いの自画像をありのまま受け入れて、羞恥心(しゅうちしん)や自己卑下(じこひげ)によって抑しつぶされることもなく、それに代えて、主にあって生まれながらに付与されている掛け替えのない自己の尊厳を直視することが出来るようになり、平安と喜びと感謝を持って、自画像を愛することが出来るようになるのです。

 

では如何(いか)にしたらこの世俗の価値観から脱皮(だっぴ)し、その支配から完全に脱却(だっきゃく)することが出来るのでしょうか。その道は、明白です。

 

①如何(いか)に世俗の価値観が災いであるかを深く悟って、速やかにこの世俗の価値観から完全に脱却したいと切願すること、またその脱出を決意すること。

 

②その世俗の価値観に支配されてきた自分自身の罪と汚れをことごとく悔い改め、その全身、全霊、全生涯をキリストに献げてしまい、今から後、傷害の終わりまで真の永遠不変の絶対価値基準を持っておられるキリストに、一切をお委ねしてしまうこと。

 

③その時、聖霊はお互いの霊と心と体を完全に御掌握下さり、お互いのうちに住み、一切の世俗の価値観を追放し、それに代えてその全存在を聖別し、神の栄光とすべての人々の祝福のために生きるものに造り変えて下さる。

 

これはお互い人間の知恵や力によるものではなく、万事は主の御愛と恵みと力によるもので、まさに上記の如く主に全く聴従するすべてのもののうちに成就する主の大いなる約束です。何と幸いなことでしょう。

 

 

  

3,キリストにある新しい自画像を愛す

自画像を愛する事が出来るようになるための今一つの大切な点があります。これはより積極的な営みで、喜びと希望に満ちた輝かしいプロセスです。それはキリストの内にあって新しく形成されてゆく新しい自己発見を意味し、聖霊の恵みと力に満たされながら、ひたすら主と同じ姿に変えられて行く、約束の聖められた自画像です。ここにこそ、自らが今まさに約束されキリストにあって確実に受け継ぐことの出来る未来像が浮き彫りされています。そこで、このキリストにあって恵みの内に約束されている聖なる輝かしい自画像に憧れ、かつ魅せられ、その実現目指してひたすら前進して行くときに、お互いは見事に自画像を愛することの出来る者になるのです。すなわち、今までの我執に支配され、世俗の価値観に縛られ、世の人々の評価に怯えながら生活していた愛せない古き自画像を脱ぎ捨て、キリストにあって既に聖別されている新しい神の子としての自らと、またその自らに約束されているキリストに似せて形づくられた無限に成熟して行く聖なる自画像を見つめながら、それを慕い、追い求め、身に着けて行くこの聖なるプロセスこそ、自画像をより積極的に愛することが出来るようになる王道です。

 

使徒パウロが、エフェソの信徒に対して、「古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るように」(エフェソ4:22~24)と言い、またコロサイの信徒に向かって、「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着ける」(コロサイ3:9,10)べき事を語ったのは、まさにこの事なのでした。

 

今日世間でよくセルフ・イメージということが言われていますが、これらはまさに自画像を言ったものです。そして通常人々は、過去の自分や現在の自分、しかも自らの力で自己形成してきた自分の姿を見て誇ったり、恥じたりしているのですが、もはやお互いキリスト者はそのような考え方や見方をしないのです。なぜなら、もはや古い自分は死んで、今やキリストにあって新しい神の子として生まれ変わり、しかも無限に未来に向かって成長させられ、もったいなくもキリストに似る者として変えられ続けて行く聖なる自分を仰ぎ見るようになるからです。そして、信仰の導き手でありその完成者である主ご自身が、それを成し遂げて下さるからです(ヘブル12:2、イザヤ43:7参照)。お互いはこの驚くばかりの恵みとその約束を確信して、ただひたすらキリストを仰ぎ見てお従いし続けて行けばよいわけです。このキリストにある新しい自分こそ、神にある真のお互いの自画像であり、セルフ・イメージなのです。この自画像をどうして愛せないはずがありましょうか。ハレルヤ!

 

 

 

4,新しい自画像を愛せよ

さて、今なお自らの自画像を愛せず、それを憎みさえしている人がいるでしょうか。その様な悩める人が1人でもおられるなら、その方に是非以下に述べることをそのまま受け入れて、信じ、今日からキリストにあって新しく歩み出していただきたいのです。そうすればあなたはきっと今日から自画像を愛せるようになることでしょう。

 

そこで第1に、神はあなたを生まれる前から知っておられ、あなたはその神によって、かけがえのない1人として創造されたのだという素晴らしい事実を確信して下さい。

 

第2に、それゆえあなたは神から愛され、キリストから愛され、しかも固有の賜物と尊い使命を与えられて生まれてきたのです。それがあなたの本来の個性というものです。そしてそれは何人も奪い去ることの出来ないものなのです。そうです、あなた自身によってさえ。

 

第3に、そのような尊いあなた自身を損なう一切のものからあなたを救うため、主イエス・キリストはこの世に来られ、十字架に架かり、死んで甦られたのです。あなた自身の犯した罪も、また罪を犯す性質さえも、赦(ゆる)し、聖(きよ)め、新たにキリストにあって造り変え、神の子となすためにです。のみならずあなたを損なうすべての外的力からもあなたを解放し、勝利させるためにです。

 

第4に、それを実現するために聖霊があなたの内に注がれて、あなたが聖霊に満たされることにより、愛と聖きと力を受けて、あなたは敵をも愛し、いかなる逆境の中にあっても力強く生き抜き、聖き人生を全う出来るようにして下さったのです。

 

そして第5に、あなたは遂にキリストのように考え、キリストのように歩み、キリストに似た人生、つまり神には栄光、人には祝福をもたらすアガペーの生涯を生き抜くことが出来るように、すでに決定済みなのです。

 

以上のように、これこそがあなたの人生の意味するものであり、存在の目的であり、人生の使命でもあるのです。それゆえここにキリストにあって聖別され、かつ全く新しく創造されたあなたの尊い自画像があるのです。今やあなたは古き自分ではないのです。新しい自分になったのです。(Ⅱコリ5:17参照)。ですからこのキリストにある尊い自画像を愛そうではありませんか。あなたの自画像は、かくして今や全く新しくされ、かけがえのない尊いものとされているのですから・・・。

 

 

 

かくしてお互いは自画像を愛することが出来るようになるのです。ハレルヤ!

 

 

 

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