峯野龍弘のアガペーブログ

心にささやかれた愛の指針

第4章 心の傷つくプロセスと諸症状②

第4章 心病む子供たちの心の傷付くプロセスと諸症状

 

III. 非受容と抑圧の果てのウルトラ良い子の諸症状

さて、かかるプロセスを経て遂にウルトラ良い子たちの中に、様々な病める症状が惹き起こされてまいります。先ずそれが彼らの内面に起こります。そして遂にはそれが外面にまで現れ、他者をも悩ますに至ります。これらについて以下に要約して記しておきましょう。

 

a. 内面的諸症状

1. 自尊心が傷つけられ、自己の尊厳性を喪失する。

  誠に憐れなことに彼らは、上記のようなプロセスを経て何よりも先ず自尊心が傷付けられ、自分はだめな人間、役立たない存在、人から喜ばれない、嫌われている存在のように思いこみ、自己を卑下し、自己の尊厳性を見失ってしまうのです。

 

2. 天与の特性が発揮されず剥奪状態が起こる。

 自己の内に存在していた天与の特性は、一向に受容され評価されることのないまま、長い間放置され続けて来るうちに、遂にはあたかも剥奪されてしまったが如き状況を惹き起こしてしまうのです。

 

3. 自らの存在意義が見失われ、無価値感が造成される。 かくする内に自らが生きている意味がなく、存在している価値が全くないかの如く思われて来てしまうのです。

 

4. 自己の存在感が喪失し、得体の知れない不安と恐怖に追い込まれる。

 

こうなると何故自分が生きていなければならないのかが分からなくなり、得体の知れない不安と恐怖が自らの内に湧き起こって来て、彼ら自身を大いに悩ますことになるのです。

 

5. 自らの存在していることに罪悪感さえ抱くようになる。

 

のみならずこれまた誠に憐れなことに、彼ら自身は何一つ悪いことなどしていないにも関わらず、自らが存在していることに罪悪感さえ感じるようになってしまうのです。何と不幸せなことでしょう。

 

 

 

 

 

b. 外面的諸症状

 そこで、ここまで追い込まれて来てしまったウルトラ良い子たちは、遂に以下のような諸々の病める症状を呈するようになってしまうのです。

 

1. 自己の存在感を模索して自己防衛的異常心理と異常行動に出る。

  憐れ、彼らは自らの存在感が失われ、得体の知れない不安と恐怖に襲われながら、「溺れる者は藁をも掴む」の諺のように、何とかして自己の生きていると言う確証若しくは実感を掴み取りたいばっかりに、自己防衛的、自己保全的に他人から見て異常と思われることを思い立ち、それを実行してしまうのです。例えば、自分より弱い者をいじめることによって、自己の優位であることを確認し、それをもって他者にではなく、何と自分自身に対して「お前は存在している」、「お前は強い人間だ」とエールを送っているのです。これはまさしく哀れな自衛行為であって、自己の存在感確認行為なのです。つまり弱者への攻撃によって自己の存在感を自己検証しようとする誠に憐れな屈折した異常心理、異常行動なのです。これは他者から見れば明らかに彼らの異常心理、異常行動であって、彼らが加害者のように見えるわけですが、しかし、その実体は元をただせばかかる異常心理、異常行動のすべては、彼らが過去に受けて来た極度の抑圧の結果であって、彼らこそ被害者であったわけです。何と哀れなことでしょう。

  

2. かくして更にその異常心理、異常行動は以下のような諸症状を惹き起すのです。

  例えば、概して内向的な子供たちは、不登校、引きこもり、摂食障害(過食と拒食)、リストカット家庭内暴力(器物破壊、動物虐待、人身攻撃)、各種依存症(アルコール依存、薬物依存、性的依存、金銭依存、遊戯依存等)、屈折した病的自己保全と自己顕示、自殺等になり易く、また外向的な子供はいじめ、夜遊び、万引き、校内暴力、様々な非行や犯罪等に陥り易いのです。

 

 

 

 

さて、以上のように見て来ると非常に残念なことなのですが、実に皮肉なことには生まれながらに平均的他者に比べて圧倒的に純正な良き性質をもてこの世で呱呱の声を挙げた「ウルトラ良い子」ほど、より早く、より深傷つき易く、心病み、自己破綻し易いとも言えるのです。彼らはいわゆる格障害や対人関係不全症候群を惹き起し易いのです。その理由は、既におかりのようにこの世の価値観が余りにも相対化、世俗化、唯物化し、かつ粋なもの、本質的なもの、絶対的なものが見極め難くなっているからです。それゆえ本来「ウルトラ良い子たち」が持っている後者の性質と前者の世俗的価値観との間の落差が大きく広がり、両者の間の理解の乖離ゆえに「ウルトラ良い子たち」は、大きなストレスや抑圧を受け易く、徐々に傷つき病んで行くようになるのです。その結果彼らは、哀れな自衛行為として、または自己の存在感確認行為として皮肉なことに異常行動を取らざるを得ないように異常心理に追い込まれてしまうのです。それゆえ彼らは、他人にとっては極めて迷惑千万な存在に陥ってしまうのです。筆者はこれを「加害的被害者像もしくは現象」と呼んでいます。それが時には弱者への攻撃と言う形を取って、自己の存在感の自己検証を試みようとする屈折した心理現象を引き起こしてしまうのです。誠に人間は、甚だ悩ましい存在であると言えましょう。

 

さて、ここで異常心理、異常行動の一つの様態として、これまた筆者がしばしば「イラ切れ症候群」と言う呼称で表現している、彼らがしばしば惹き起す典型的な病める症状があります。そこで以下においてこれに関して若干詳述したいと思います。

 

 

 

 

IV. 「イラ切れ症候群」とその特徴

1. 「イラ切れ症候群」とは何か。

先ず「イラ切れ症候群」とは何かからお話ししましょう。心病み傷ついた「ウルトラ良い子」たちは、ちょっとした相手の言葉や行為に刺激され、突然苛立ち始め、激しく怒り出したり、暴れ出したりすることがあります。巷ではよく「もう我慢が出来なくなり怒り出す」ことを「切れ」てしまうと表現しますが、「ウルトラ良い子」たちは、とりわけ我慢していた様子もない時にでも、突然苛立ち始め、切れてしまうのです。このような症状を「イラ切れ症候群」と言います。

 

2.「イラ切れ症候群」の特徴

①これは比較的ウルトラ感性の強い人々に多い症状です。

 

②彼らは鋭敏な感性の持ち主であるゆえ、鋭い感性を持って物事を洞察することから、それに他者が気付かないと、彼らの心は激しく苛立つのです。

 

③彼らは、洞察した事柄について確信的であり、それを他者に期待し、要求する傾向があります。

 

④彼らは他者に対しては批判が鋭く、厳しい。しかし、自分自身のことに関しては全く省みる心はなく、謙虚かつ慎むことはありません。

 

⑤彼らは、そうせずにはおられず、自らの内に湧き上がる思いを抑制できません。

 

⑥一見極度にわがままで、自己主張が強いように見えますが、実は自己の思いの中に閃いた考えを、余すところ無く相手に伝えきらないと心が充足せず、かつ安息しないのです。

 

⑦彼らは相手がその思いに完全に共感(同意とは異なる)しないと彼らの感情の高まりが治まらないのです。

 

⑧彼らは聞き手が完全に自己の思いを理解し受け止めてくれたことを確認できるまで、あるいは自分が完全にその思いを相手に伝達しきれるまで同じ内容を何度でも繰り返し話し続けます。

 

⑨彼らは志向傾向が純粋である反面、事物の判断が一面的、単一的で、かつ平面的であり、また静止的です。それゆえ多面的、複合的、かつ立体的、力動的に、更には統対的、総合的に物事を判断できません。その結果、相手の高所大所からの判断を理解できず、それが不純かつ誤った判断に思えてしまいます。

 

⑩彼らは自尊心が強く、従って自尊心を傷付けられることを極度に恐れ、かつ幼少時代からの累積された抑圧とトラウマがあり、他者の言葉に過剰反応を示し、怯え、極度の不安を感じ易いのです。

 

⑪彼らは自己の思いの内に立ち上がった極めて狭められた視野の中で捕らえた考えを絶対化し、他者をその中に取り込もうとして極度に他者規制します。その結果相手を取り込めないときには、極度の不安や恐怖に陥り、苛立ち、遂に切れ症状を呈します。

 

⑫彼らは自己の判断に余ることや、自らが処し難い他者の要請や出来事に遭遇する時、これまた極度の不安を覚え、おじ惑い、かつ極度の苛立ちを覚え、泣き叫んだり、逆切れしたりします。

 

⑬彼らは極端なまでに自負心と羞恥心、他者批判と自己卑下、厳しさとやさしさ、理想主義と現実主義(世俗主義)、理屈っぽい大人びた言動と幼稚で稚拙な子供っぽさなどがその人間性の中に同居していて、それが時には自らの内で拮抗し自爆してしまいます。

 

⑭彼らは、失敗や過ちを犯した場合に、相手からそれを指摘されると、激しく逆切れしてその責任はすべて相手にあると責め立て、その謝罪がない限り、その心が安息出来ません。しかし、これと全く裏腹に、自分の心に若干のゆとりがある時は、意外なほど素直に自らの非を認めて謝罪することもあります。

 

なお、この他にもいろいろな症状がありますが、以上が彼らの主なる特徴です。