読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

峯野龍弘のアガペーブログ

心にささやかれた愛の指針

愛の文化を生み出す教会の宣教とキリスト者(1)

―美しい人間関係の新創造とキリスト者の使命―   

                G.サーバント(峯野龍弘)

 

f:id:minenotatsuhiro:20160908104933j:plain

Ⅰ、苦悩する21世紀の社会に対する教会とキリスト者の使命

 それはこの醜いまでに人間関係が崩壊しつつある21世紀社会に向かって、キリストの愛の奥義を明白に宣証することによって、そこに真に美しい人間関係と社会を回復して行くこと、いや新創造して行くことに他なりません。それは人間関係が限りなく崩壊してゆく終末的様相の色濃い現代社会のただ中にあって、心傷つき病み苦悩しているすべての人々と社会に対して、キリストの愛に基づく新しい文化・新しい社会を新創造して行くことでもあります。これは強烈な表現を許して頂くならば、キリストの愛による一大社会変革を齎すまさに「愛による一大文化革命」を目指すものです。ここにこそ究極の教会とキリスト者の使命と責任があると確信するものです。

 ちなみに、教会とキリスト者の果たすべき真の宣教の究極的目的は、決してキリスト教という宗教の繁栄や、単に信徒数の増大を意図するものではなく、また、ただ世の人々とは決定的に異なった聖書的・福音的集団を生み出すと言うことでもありません。それらはあくまでも当然そうあるべき教会とキリスト者の経過点であり、中間目標に過ぎません。その真の宣教の目的は、この恐ろしいほどに愛の冷え切った終末的現代社会、そして世界に向かって主イエスが命じている通りに、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝える」(マルコ16:15)ことによって、「地の果てに至るまで」(使徒1:8)、いわゆる「全地」「全人類」が、遂にキリストの愛の内にあって皆ひとつに帰一し、そこに愛と平和と義の実に満ち溢れた一大「愛の共同体」としての「地球大の愛の新世界」を実現することにあります。ここにこそ主の宣教派遣命令の究極的目的があるのです。それはまさしく使徒パウロが、かの日エフェソ信徒への手紙において展開した彼の教会論とキリスト者論において目指したもの、つまり愛の一大共同体としてのキリストにある新世界の実現に他なりません。(エフェソ1:10,2:13~22、4:1~17等参照)

 またそれと同時に何よりもお互いは、ここで今一つの重要な真理に気付かなければなりません。それは「主の祈り」の基盤となっている前半部の祈りの真意についてです。つまり、

「天にましますわれらの父よ、聖名を崇めさせたまえ。
  御国を来らせたまえ。御心の天になる如く、地にもならせたまえ。」

と言う祈りには、まさに神の愛に満ち溢れた天上の神の御国が、天におけると同様にこの地上にも到来し、この地上の万民がキリストの全き愛の御心の支配の下に服し、全くひとつとされ、遂にそこに究極の美しい愛の共同体としての「神の国」を実現するよう祈り求めよとの、主ご自身の深い御心が込められているからです。それゆえ教会とキリスト者の究極的使命とその使命達成のための宣教は、まぎれもなくこの「主の祈り」の成就を目指すものでなければなりません。

 そこでお互いはこの「主の祈り」の成就のために、如何なる教理や神学的立場、また教会の伝統や歴史的違い性を超えて、「キリストにあってひとつ」にされ、共に宣教し、共に祈り、働くものとならなければなりされません。ちなみに、この使命と目的達成のために労することのできる有資格者は、まさにキリストの尊い血潮の贖いにあずかって御國の民とされた者たちの共同体であるお互いの教会と個々のキリスト者以外の何者でもないのです。

 

Ⅱ、キリストにある愛の文化の発信

 さて、そこでお互いが主より要請されているこの尊い究極の使命・目的の達成のためには、如何なるアプローチ・手立てが具体的に必要なのでしょうか。それは「愛の文化」の発信を通してです。そのためには教会は常に「愛の文化の殿堂」とならなければなりません。そしてお互い個々のキリスト者たちは常にキリストの「愛の文化の担い手」となるべきなのです。

 ここで言う「愛の文化」とは、「キリストの愛を基としてその上に築かれて行く、美しい人間性と人間関係、そして更に愛の共同体を生み出して行くために必要な、日常生活の中に生きて働く心と生活上の祝福に満ちた諸要素」を言うのです。

 このキリストにある「愛の文化」には概ね以下のような素晴らしい「改変力」があります。

  • 慰めと安息を与える(平安)
  • 癒し新しい生きる力を与える(治癒)
  • 聖く生きる力を与える(聖化)

a, あらゆる試練・困難を克服する力(忍耐)

b, 無から有を生み出す力(創造)

c, 犠牲を甘受し他者に仕える力(献身)

  • 愛と受容の力を与えられる(隣人愛)
  • かくして神には栄光、人には祝福を齎すことができる。(神の栄光)

 そこでお互い教会とキリスト者は、この心病み傷ついている人々の多い現代社会の中にあって、かかる豊かな改変力のあるキリストの「愛の文化」を強力に発信・提供し続けなければならないのです。今日の日常生活のあらゆる現場で人々が必要としている最も重要事な一事は「愛の文化」に出会うことです。   

今日のすべての家庭に先ず「愛の文化」を!そして学校教育の現場にも「愛の文化」を!また職場の中にも、地域社会にも、更には政界や経済界にも、そして医学界にも、のみならず福祉・芸術等すべての分野に「愛の文化」を必要としています。

 その時、人々は大きな慰めと安息、癒しと新しい生きる力を受け、そこに愛に満たされた美しい人間性と人間関係を修復し、更には美しい愛による共同体としての共生社会を実現して行くことができるからです。

 

次回へ続く