峯野龍弘のアガペーブログ

心にささやかれた愛の指針

戦火の中の変わらない母の愛

終戦記念日を迎えた今日、いつも以上に「個々人の心の平安の祈り」「世界平和の祈り」「家庭の平和の祈り」が湧き上がってきました。


今もなお、世界中で多くの方が、テロ、内戦、紛争、飢餓、災害、不和・・・に苦しんでおられます。平安がありますように!平和がありますように!

 

昨日は、聖フランシス作と言われている「平和の祈り」を聖歌隊の皆さんと会衆の皆様と一緒に讃美することができました。本当に、自己中心ではなく、真心からお互いを愛し合い、いたわり合い、分かち合い、許し合い、受け入れ合うならば、一人ひとりが平安な心を保つことができ、平和な家族、社会、世界をつくって行けると思います。身近な所から愛の実践をさせて頂きましょう。真っ暗闇に神様の光を運ぶ器とさせて頂きましょう。


さて、小僕(しょうぼく)が、ソマリアの内戦の時に、体験した出来事を詩に書いてみました。悲惨な戦火の中で見た実話です。

  

戦争や争いなどに、巻き込まれてしまったとき

反応の仕方は様々。

地獄のような現実の中で垣間見た母と子の絆のストーリーです。

 

 

ソマリアで天国を見た」

           G.サーバント(峯野龍弘)の詩

1990年代、
ソマリアでは、内戦(ないせん)が激化(げきか)し、
かつ、干(かん)ばつも襲(おそっ)てきた。



共に長引く二つの禍(わざわい)に遭遇(そうぐう)した
善良な民たちは、
難民となって荒野を彷徨(さまよ)い、
飢えと病に苦しんだ。



ただでさえ貧しい
ソマリアのどの町も村も、
激(はげ)しい砲弾(ほうだん)と銃弾(じゅだん)の
飛(と)び交(か)う戦火(せんか)によって崩壊(ほうかい)した。



民は住む家もなく、
何よりも食物(しょくもつ)がなく彷徨(さまよ)った。



ある者は、廃墟(はいきょ)に身を潜(ひそ)め、
ある者は、原野(げんや)に逃(のが)れた。



しかし、自国は
既(すで)に崩壊(ほうかい)し、
国連の支援は届かず、
無数の難民たちは、日に日にやせ衰(おとろ)え、
苦悩(くのう)は 増(ま)していった。



にもかかわらず内戦(ないせん)は続き、
干(かん)ばつは、激化した。



砲弾(ほうだん)、銃弾(じゅうだん)による
戦死者(せんししゃ)よりも
餓死者(がししゃ)の数が上回った。



国連軍が、難民のために
空から投下した物資も、哀(あわ)れ、
即座に、反乱軍に強奪(ごうざつ)され、
民衆の口には届かず、
陸路で運ばれた救援物資も、
しばしば彼らに襲(おそ)われ、
次々と、餓死(がし)して行く
難民の許(もと)には、届かなかった。



広域に点在する
無数の難民たちへの支援は、
どうすれば彼らに届くのか?



ああ、過激派反乱軍の
巧妙(こうみょう)な攻撃に阻(はば)まれ、
国連軍の侵攻(しんこう)、鎮圧は
一向(いっこう)にはかどらず
苦戦が続いた。



国連軍が、やっとバイドアに上陸したのは、
だいぶ後(あと)になってからのことだった。



丁度この時、小僕(しょうぼく)は、
激戦地(げきせんち)モガディシオにいた。



この時、すでに難民の数は、
100万人を超えていた。



この惨状(さんじょう)を
NGO本部より聞かせれた
小僕(しょうぼく)たちは、
いち早く現地に急行し、
その窮状(きゅうじょう)を祖国に知らせた。



ちなみにそこに入るのは
極(きわ)めて至難(しなん)の業(わざ)だった。



戦時下のソマリアは危険に満ち、
入国不能だった。



既に空港は爆破(ばくは)され、
陸路はゲリラが出没し、
当然のことながら
民間人は、
渡航(とこう)を禁じられていた。



しかしわずか報道陣と
NGOには入国が許された。



祈りはかなえられ、
ケニアのナイロビから
小型セスナ機をチャーターし、
反乱軍に
襲(おそ)われるかもしれない
危険を冒(おか)して飛び立った。



現地にはNGOの事務所があり、
そこと無線交信をしつつ、
地上の安全を確認して
所定の原野に強硬(きょうこう)着陸を試みた。



事前打ち合わせを済ませておいた
味方の武装車に迎えられ、
ただちに帰還(きかん)するセスナ機に別れを告げ
無事目的地に着いた。



初めて視察した瓦礫の中の難民居住地は
悲惨(ひさん)であった。



折からの日照りの中で、
天蓋(てんがい)を広げ、身を寄せ合う難民たち。
痩(や)せ衰(おとろ)え、
骨と皮ばかりになった哀れな老若男女。



まさに餓死寸前の状態で、
あてどもなく死を待つ人々。



母親の薄っぺらで
皺(しわ)だらけになった
乳房を銜(くわ)える乳児。



いくら吸えども
母乳は涸(か)れ果て、
出ることのない乳房でも、
母親の心に湧き上がる愛が溢れてわが子を満たす。
かくして母の胸に抱かれながら幼い命は天に帰った。



小僕(しょうぼく)は、
この生き地獄のような
当時の悲惨なソマリアで、
同時に、
美しく、聖く、尊い人間の世界を見た。

 

この極限的(きょくげんてき)な 
死を待つ母子の間には、
恐怖も飢(う)えもなく、
ただ神々(こうごう)しいばかりの
愛の聖域、天国(てんごく)が見えた!

 

母の愛は強し!
母の愛は深し!

 

 

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